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日頃考えていることとか、読んだ本の感想とか

『スクラムの拡張による組織づくり』を読んで、組織づくりを考えてみる

@daiksyさんから、『スクラムの拡張による組織づくり』をご恵贈いただいたので、読んで刺さったところや思ったことをつらつらと書いていく。

どんな人におすすめか

本書籍は大規模スクラムの一つであるScrum@Scaleを運用するときに、どういうことに気をつけるべきなのかを教えてくれる本である。こうやって書くと、Scrum@Scaleを導入している企業の方にしか意味が無いように思われるかもしれないが、そうではない。私は過去に大規模スクラムの一つであるLeSS(Large-Scale Scrum)の実践研修を受けたり、実際にLeSSに近い開発プロセスを導入したことがある。もし本書籍が当時の開発プロセスを検討しているときにあったとしたら、多いに参考になっただろう。

また、すでにLeSSやSAFeなど別の手法を取り入れている方も、他の手法の良いところを知るのは開発プロセスを良くする助けになる。これってなんでLeSSには無いんだろうとか、SAFeだとこの会議体でやっているかも、とか考えていくのは、今やっている手法が違ったとしても理解が深まるだろう。

さらに、まだ大規模スクラムに移行するかはわからないが、もし大規模になったらどんなアクティビティをやらなければいけないのだろうか、と知っておくのは開発の今後を考える意味で意味があるだろう。Scrum@Scaleに限った話ではないが、大規模スクラムは組織における情報共有の仕組みが整備されている。本書籍を読むことにより、今が1つのスクラムチームであっても、スクラムを導入していないチームとの議論の仕組み(SDS)や、経営層との議論の仕組み(EATやEMS)は参考になるかもしれない。

まとめると本書籍の読者となりえるのは以下の通りである。

  • Scrum@Scaleを導入している方
  • 大規模スクラムの導入を検討している方
  • 既に別の大規模スクラムを導入している方
  • まだ1つのスクラムチームのみを導入している方

ここで、導入・検討している方としていて、スクラムマスターやプロダクトオーナー、開発メンバーなどと限定していない。これはスクラムに携わるメンバー全員が知っておいた方が良いことだからである。

スクラムをスケールしたい人ってそもそもいる?

私がLeSSっぽい開発プロセスを導入したときもそうだったが、スクラムマスターとしてスクラムをやるときって、開発チームが既にあるところからスタートするケースが多いんじゃないかなーと思う。しかも、開発メンバーが数人という所謂2pizzaルールに当てはまるような規模ではなく、スクラムの限界人数とされている9人とか、15人とか、20人とか・・・下手したらもっと大きな規模のチームとか。そういうちょっと開発プロセスの難易度が上がってきた段階で、スクラムマスターがやってくるケースが実は多いんじゃないかなと思ったりする。

スクラムマスターやっている人だったらわかると思うが、人数が多いというだけでチームの成功難易度上がる。だから、人なんて増やしたくないし、ましてチームだって増やしたくない。そんなことは百も承知な上で、大規模スクラムの導入を検討せざるを得ない状況に追い込まれているのでは、と思ったりする。「大規模スクラムの導入の前にまず考えることがあるだろう」という意見はご尤もだが、そんなこと言ってられない事情が現場のスクラムマスターにはあるんじゃないかな。

私がLeSSの実践者研修を受けたとき、救いの光だったことを良く覚えてる。大規模スクラムなんかやるんじゃねえ、という意見をもらいながらも、なんとかチームを良くするために、と考えに考えてチームを分割して、会議体を自分なりに設計してやっていた。チームを分割するだけでは深いドメイン知識を持っている方の知見が活かせないから、両方のチームを渡り歩く仕組みも作った。LeSSがその考えに考え抜いたやり方とほぼ同じだったと知ったときはものすごく嬉しかったのは、なんか自分が信じてやってきた道が肯定されたような気がしたからだろう。

本書籍の冒頭で、「スクラムをスケーリングしたいと考えている組織は、すでにある程度の規模の開発組織が存在している場合が多いのではないでしょうか」という記述がまさにあって、この言葉に救われる方はたくさんいるんじゃないかな。別にやりたくてやっているんじゃないんだよ、と。

まあ、でもスケーリングは難易度高いから(本書籍でも認めている)、開発プロセスがうまく回らなくなってきたと気がつく前に、早めにスクラムマスターを入れてくれ、とは切に思う・・・。

大規模スクラムはエグゼクティブの協力必須

本書籍にも書いてあるが、スクラムチームを1つ導入するぐらいだったら現場の判断でやっても良いけれど、大規模スクラムでは流石に現場だけでいろいろ取り決めるのは難しい。二桁人数に影響を与えることになるのは、組織として無視できないレベルのことになってくるはず。どんなことをやろうとしていて、どんな成果をあげようと思っているか、その報告フローをどうするか、について上位のマネージャーと合意を取るのは、絶対最初にやっておいた方が良い。上位のマネージャーを説得できないレベルのことしか言えないのだったら、多分一度冷静になって考え直した方が良い。

Scrum@ScaleにはEATやEMSというリーダーシップグループが定義されていて、そこで組織的な協力を得られやすくなっているのはとても良いやり方だと感じた。組織の隅々まで大規模スクラムやるのは難易度高いと思うので、多分最初はエグゼクティブ層やその他マネージャーたちは最初大規模スクラム外にいると考えると、EATとかEMSは実際にはマネジメント相談会議とかって名前になるとは思う。名前がなんであれ、スクラム外の人たちと接点を持つ場をフレームワークの中で定義されているのはまさに組織運用上必要となることで、良く考えられていると思う。単一のスクラムはこの点はサポートされていないから、悩む人も多いんじゃないかなあ。

組織構造を変えやすくするために非公式なチームを利用する

人がチームを異動すると様々なコストがかかるので、Scrum@ScaleではSoSやSoSoSといった単位でチームを固定化し、その中でチームの組み合わせを自由に変えられるとしている。私はこの仕組みはとても良いと思っていて、組織が動きやすくなるためには、うまいこと非公式なチーム(バーチャルチーム)を活用することがポイントだと思っている。組織の公式として扱うチームはそのチームのユニーク性が組織の中で大事で、同じような機能を持ったチームが何個も存在すると組織上、何をやっているチームなのか、と混乱を招きやすいです。スケールされた開発チーム同士は同じような機能を持っていると言えるので、あえてそれを取りまとめた群(SoS or SoSoS)を公式なチームとするのはとてもわかりやすくなるし、やることが少し変わったときもそれに合わせてスケールされたチームを作りやすくなる。

本書籍でも一貫しているのが、コミュニケーションコストをいかに下げられるかということで、チームを増やすことによってチーム間のコミュニケーションが全社的に増えていくのは避けなければいけない事態だ。ある程度ざっくり公式のチームを作る、その公式のチームの中は非公式なチームが何個もあって、非公式なチームと外の公式なチームは基本的に直接会話しない、というのが組織設計上大事だなと思う。

Scrum@Scaleというか組織づくりを学べた

これは自分の置かれている立場だからかもしれないが、もはやScrum@Scaleというのは大規模な組織づくりの一つの実装として捉えていて、その裏にある、どのようにコミュニケーションを取るのが大きな組織にとって最適なのか、に注目して読んだ。

冒頭にどんな人におすすめなのかと書いたが、そこにもう一つ付け加えるなら、組織全体を俯瞰して見る立場の方、というのも追加しておきたい。Scrum@Scaleという題材を元に、いろいろとアイデアが浮かんでくるに違いない。

社会人学生って実際のところどうなの?

いきいきAdvent Calendar2021 25日目の記事です。

2021年は対外的な活動はほとんどしなかった。・・・というのも、EM.FMでは話したが、4月から経営学の大学院(ビジネススクール)に通い始めたからだ。しばらくは勉学に集中したいと思ったので、いくつかの登壇のオファーも断り、ひたすら社会人と学生生活を行ったり来たりしていた。

良く、仕事しながらビジネススクールに通うの大変じゃないですかー?と言われる。そのときは、いつも真顔で「まじで大変です。ギリギリです」と答えている。本記事では、昼は社会人、夜は学生として過ごすのは実際のところどうなのか書いていく。

経営に関して全くの無知だった

Engineering Manager(EM)はManagerという名前の通り、経営的な観点での意思決定は必要である。本当にお恥ずかしい話なのだが、私はEMとはなんぞやを偉そうに語ったりしていながら、実は経営についてこれっぽっちもわかっていなかった。会社でいざ経営のお仕事をさせてもらうことになったら、自分が本当に無知であることを認識した。

ピーターの法則をご存知だろうか。

・組織の中で、人は自身の能力の限界まで昇進する

・昇進した人材は高いレベルの仕事に従事することで、能力を無能化していく

・最終的には、組織全体が無能な人材集団と化してしまう *1

という恐ろしい法則で、まさに自分のことを指している言葉だと感じた。以下の本を読み、一つひとつの文章がぐさぐさ来て、読み終える頃にはぐったりしてしまった。

このままではまずい、と非常に危機感を感じ、何をすればこの状態を脱却出来るのか考えた。本で学ぶのも一つの手ではあるが、あまりにも経営の知識は広大だと感じていて、本からの学びでは到底難しいと思った。そこで、一から体系的に経営学を学ぼうとビジネススクールに行くことにした。

課題に追われる日々

4月からビジネススクールが始まった。自分の知らない内容がたくさんシラバスに書いてあって、テンション高くなって調子にのって授業をバカスカ取った。しかし、これが地獄の始まりだった。

授業は楽しいのだが、課題にひたすら追われ続けた。平日は朝6時に起きて課題をやり、仕事は18:30に終え、そこから22:00まで授業。授業が終わったら、次の授業の課題を深夜までやる。土曜日は9:00からゼミが始まり20:00まで授業。日曜日は課題の遅れを取り戻す日。課題をギリギリに仕上げたら、また授業で次の課題がやってくる。

そして、そんなこととは関係無く、仕事はいつも通りに行わなければならない。悪いタイミングは重なるもので、4つの授業の最終課題の提出と、全社発表が2週連続で入ったときは、記憶がほとんど無い。

そんな日々を3ヶ月ぐらい続けて、メンタルが本当に限界だった。でも、ちょうど夏休みに入り、束の間の社会人だけの生活に戻ることが出来たときは本当にうれしかった。土曜日はゼミがあるものの、課題に追われることは無くなった。土曜日の真っ昼間に美容室に髪を切りに行けることに幸せを感じるぐらい、幸せのしきい値は下がりまくっていた。*2

ちなみに、春夏で一回授業登録、秋冬でもう一回授業登録をするのだが、春夏に詰め込みすぎた失敗を活かし、秋冬はそこそこにしたら大分楽になった。あのペースで授業を受けていたら、ちょっと病んでいたかもしれないな・・・。

苦労しながらも得られたもの

そんな苦しい日々が続いていたが、得られるものはめちゃくちゃ大きかった。

まず、経営学の知識だ。ここ数年の中で一番成長した年なのではないかと思うぐらい、様々な経営に関する知識が身につき、考え方のフレームワークが出来つつある。様々なケースを読んだり、他の学生たちと議論を交わしていく中で、視野がものすごく広がった感覚はある。

次に、人脈だ。周りには信じられないほど優秀な人がたくさんいる。自分のレポートはクオリティがいまいちなのも理解して本当にギリギリの状態でなんとか出すことに必死だったが、同級生はみな素知らぬ顔でハイクオリティなレポートを出してきて、しかも考察が深い。世の中にはまだまだこんな優秀な人がいるのか、と驚愕だった。ありがたいことに、そういう方々と交流させていただく機会も多く、深夜まで議論したり、グダグダ話せる友人が出来たのは、今後の人生において必ずプラスになると思っている。

そして、時間の効率化だ。少ない時間で何かアウトプットしなければいけないので、効率的にアウトプットをひねり出す訓練ができた。実はこれは経営の意思決定でもとても大事なことだ。いつも情報が十分あるとは限らず、また時間もそこまでかけられるとは限らず、少ない情報の中でAなのかBなのか、意思決定をしなければいけないタイミングがある。その中で、自分がAが良いと思う根拠、Bがだめな理由を説明するのは、大事な訓練だ。

結局MBAは使えるの?使えないの?

MBAは使えないだの、今の時代に合ってないだの、様々な記事や場面で言われるが、結局は自分次第なんじゃないか、と思う。MBAを資格のように捉えるのならそれによって何か仕事が新たに出来るようになるわけではないので意味無いし、MBAで学んだことをそのまま使おうと思うのならそんな便利な予備校のようになるわけでもないし・・・

そもそも学ぶことってそんな窮屈な話ではなくて、学びたいから学ぶ、で良いのではないかな。少なくともビジネススクールに来ている方々はみんなやる気に満ち溢れてるし、自分自身も高いお金と時間をかけて行っているわけだから、学ぶことに本気になれる環境が整っている。

別にMBAに限らず、何かを本気で学ぼうと思っている人は素晴らしいと思うな。そういうチャレンジをしようとしている人に対して、みんなで応援する社会にもっとなるといいなあ。

*1:ピーターの法則とは?原因や対策方法をわかりやすく解説: https://www.motivation-cloud.com/hr2048/c244

*2:そして、夏休み中に成績が返ってきて、あまりの出来の悪さに引くところまでがワンセット

マルチ・ポテンシャライトの存在が組織を面白くさせるのかもしれない

「一つの専門性を突き詰めろ」、という言葉に苦しんだことはないだろうか。

この言葉しっくりくる人は、一つの専門性をひたすら突き詰める職人タイプか、あるいは、I字 ➔ T字 ➔ Π字のようなキャリア形成の仕方を多分想定しているのだろう。

でも、現実には、

  • 全然関係の無い専門性を複数同時に持って価値を出している人
  • いろんな知識を組み合わせてこれまでとは違う価値を出している人
  • 組織の中ではそこそこの専門性だが趣味の活動がプロ並という人

と、様々な人が組織の中にはいるはずだ。

かくいう私も、一つの専門性を突き詰めるモデルからは外れまくって生きてきた人間だ。 大学では物理学を学び、低温量子物性の理論研究を大学院までしたかと思えば、 最初に入った会社では社会インフラ向けサーバーのカーネルの研究開発をし、 現在の会社ではゲームアプリの開発、Engineering Manager、エンジニア組織の取りまとめ、職能組織の取りまとめ、経営と、 傍から見たら良くわからないキャリアを歩んでいる。*1

このあたりの話は、以下の発表資料にもまとめている。

私からすると一つの仕事を10年も20年もやっている人を見ると、そこまで専門性を突き詰められる仕事を見つけられてうらやましく思うと同時に、 自分では絶対出来ないな(絶対途中で飽きちゃうな)と思ってしまう。

そんな私が最近、こんな本を見つけた。

マルチ・ポテンシャライトという言葉を聞き慣れない方がいるかもしれないが、この本の定義では、 「さまざまなことに興味を持ち、多くのことをクリエイティブに探究する人」だ。 自分がクリエイティブかと言われるとそれは議論の余地はあるが、まあ確かにいろんなことに興味を持ち、多くのことをやる人ではあると思う。

4つのアプローチ

さらに、この本ではこのマルチ・ポテンシャライトには4つのアプローチ(働き方)があるとしている。

アプローチ 働き方
グループハグ ある一つの多面的な仕事に就き、その中でいくつもの分野を行き来する
スラッシュ パートタイムの仕事やビジネスを掛け持ちし、精力的にその間を飛び回る
アインシュタイン 安定した「ほどよい仕事」をしながら、情熱を注げる取り組みをほかに持つ
フェニックス 数ヵ月、数年ごとに業界を移り、興味を一つずつ掘り下げていく

言われてみると、確かにこういう働き方をしている人が何人も思い浮かぶ。

この4つはどれか1つだけのアプローチに当てはめるのではなく、同時に複数のアプローチを満たしている人もいれば、 アプローチが変化する人もいる。 実際に私の場合は、これまでフェニックス・アプローチをやってきていて、今はグループハグ・アプローチをやっている。

組織にはいろんな人が必要だ

冒頭に上げた、専門性をひたすら突き詰める人は確かに必要で、そういう人たちが会社事業を円滑に進める上での軸になるのは間違いない。 一方で、それ以外の人も活躍する場を組織の中で作るのは大事なことではないだろうか。

Engineering Managerのように、エンジニアとしてのテクノロジーの知識を使いながら、ピープルマネージメントやプロジェクトマネージメント、プロダクトマネージメントをうまく組み合わせて意思決定をするグループハグのアプローチをする人もいる。

技術顧問のように、いろんな会社をパートタイムで参画しながら、各組織のテクノロジーの知識を引き上げる人もいる。

SNSインフルエンサーのように、安定的な収益を得るために組織の業務をきっちりこなしながら、SNSYouTubeではフォロワー何十万人という人もいる。

畑違いの業界の転職者のように、今いる業界では得られない知見をもたらしてくれる人もいる。

事業を継続する上で専門性はとても大事だし、成熟産業になればなる程その重要性が増していく。 でも、それは組織全体として硬直化の道を歩んでいく可能性がある。 いろんなタイプがいるからこそ、組織に味が出て、より面白い会社になっていくんだろうな。

*1:私個人としてはそれなりに考え抜いてやってきているのだが・・・w

キャリアのわがままを言える組織をつくる

この記事は、Engineering Manager Advent Calendar 2020の23日目の記事す。

組織は個人で成り立っている

これまで様々なチームや組織を見てきて、一つたどり着いた結論として、個人を無視してチームや組織を成り立たせることは不可能だということだ。 一人ひとり様々な事情を抱えてそのチームや組織に参画している。 そのプロダクトが好きで本気で良くしたいと思っている人もいれば、技術力を高めたいと思ってそのチームでの開発を足がかりにしている人もいれば、お金をもらっているので何でもやりますという人もいる。 チームに色々な人がいるのは当然なことで、目的が何であれ、何かしらの縁があってそのチームに参画している。

個人の事情を全く考えずに、チームや組織という単位で常に意思決定しているようであれば、もしかしたらものごとを単純化しすぎてしまっているかもしれない。

個人のキャリアに寄り添った組織

では、そうやって様々な事情がある人たちで構成されたチームや組織は、どうやったら最高のパフォーマンスを出すことが出来るだろうか。 その一つの答えとして、個人のキャリアの方向性をうまくつなぎ合わせられている状態を作ることではないか、と考えている。

個人のキャリアの方向性とは、既に習得しているスキルを活用して成果を出すというのもあれば、成果を出しながら伸ばしたいスキルを身につけていく、という両方の側面がある。 どちらを大事にするかは人それぞれ考えが変わるものだが、多かれ少なかれ両方の側面を持ちながら誰しも仕事をしているのだとは思う。

私は個人のキャリアの方向性を大事にする組織をつくりたいと考えている。 それが結果的に個人にとっても幸せなことだし、組織にとってもパフォーマンスが向上するものだと信じているからだ。

その人にとって理想のキャリアを歩んでいるときは、内発的モチベーションによって行動しているので、最高のパフォーマンスが出る。 もしそのチームや組織に所属している人全員が最高のパフォーマンスが出ているのだとしたら、組織にとって一番目指すべき状態が達成出来ている。

マネージャーの仕事は会社の方向性とキャリアをつなげること

そう考えると、マネージャーがする仕事とは、組織の達成したいことと個人のキャリアをつなげることなのかもしれない。 達成したい目標に対して、中間生成物をつくる仕事を定義し、効率的にその中間生成物のバトンが回っていくシステムを作り上げる。 その一つ一つのアウトプットが個人のキャリアにひもづけられるのだとしたら、そのシステムは自然とものすごいスピードで機能し、マネージャーはシステムに対して影響を与える必要性はほとんど無くなるだろう。

逆に、そのシステムの構成要素が所属している人のキャリアを考慮出来ていない場合、 そのシステムは自然と非効率になるし、不満・不安がたまり、マネージャーはそのケアに追われることになるのだろう。 つまり、マネージャーが人のケアに追われているのだとしたら、そもそもその組織活動がいる人にとって合っていないシステムを作っていると捉え直す方が良いのかもしれない。

もっとキャリアのわがままを言っていい

本当はやりたくない仕事なのにいつもやらされている、他にもっと興味のあることがある、今この場を改善できる優れた案を持っているのでやってみたい、など、働いているといろいろ思うことがあるだろう。 勇気を出してその思っていることを言ってみるのはどうだろうか。 もしかしたらその一言で何か状況が好転するかもしれない。 それによってアウトプットが良くなるのであれば組織としては御の字だし、個人にとっても幸せなことではないだろうか。

自分の人生なんだから、わがままを言っていいんですよ。

仕事と生活の分離から融合へ

COVID-19の影響で在宅ワークになり、既に半年が経った。

家で働くことで、仕事と生活がシームレスになった。 仕事の中に生活が取り込まれるし、生活の中に仕事が取り込まれる。 以前は仕事環境と生活環境が物理的に分かれていたことで、知らず識らずのうちに気持ちのスイッチをしていた、ということを初めて実感できた。 逆に言うと、今は気持ちのスイッチがしづらい感覚がある。

とはいえ、スイッチしづらい状況を払拭するのは在宅ワークをしている限りどうあがいても難しいんじゃないか、と思っている。 仕事と生活が分離していたことのメリットは確かにあるが、仕事と生活が一緒になることのメリットもある。 だから、私は仕事と生活を分離させようと考えるのではなく、融合させていこう、と考えるようになった。

本記事では、私がどのように仕事と生活を融合させているか、書いていく。

生活と仕事が両立しやすい環境をつくる

在宅ワークに移行したタイミングで、少し広い家に引っ越した。 かなり前に契約していたので、まさかこんなことになるなんて夢にも思わなかったが、タイミングとしてはバッチリだったのは我ながら運が良いと思う*1

家が広くなったとは言っても、家の中で仕事部屋を作れる程の余剰スペースを想定していなかったので、生活と仕事が入り混じった空間を作らねばならなかった。 ご飯を食べるところは作業をするところにもなるし、ミーティングをするところは寝るところにもなる。 つまり、生活がしやすく、仕事がしやすい環境を同時につくらねばならない。

いろいろな方の仕事環境を聞くと、仕事用の部屋を用意し、仕事用のデスクを用意し、外付けモニタを構え、何時間座っても疲れないゲーミングチェアを使っている人が多い。 中にはWebカメラにこだわる人や、据え置きのマイクを使っている人もいる。

私はこのどれも採用していない。 なぜなら、私の仕事環境は5秒後に生活環境にシフト出来るようにする必要があるためだ。 生活環境が脅かされると、自分の家がリラックスできない環境になってしまう。これは私の望んでいることではない。

だから、私は生活中心の在宅ワーク環境を実現した。 この環境の要件としては、以下の通りだ。

  1. 据え置きの仕事道具を設置しないこと
  2. 自分が機能面・デザイン面ともに本気で気に入った家具で溢れていること
  3. 家が常に整理整頓されていること

以下では、これらをどのように実現したのか、書いていく。

仕事道具を極限まで減らす

仕事環境からすぐに生活環境に、またその逆にすぐ移行出来るように、テーブルの上に広げるものは可能な限り減らしている。 業務中のテーブルの上にはいつも、会社から支給されているノートPC、AirPodsだけを広げている。 それ以外のものは極力収納棚にしまっている。

私は会議や1on1が割と多い人で、飲み物を取りに行きながら会話したりもするので、完全ワイヤレスのAirPodsはとても重宝している。 AirPods Proも良いらしいが、生活音も適度に聞けた方が何かと都合が良いので、むしろオープン型のAirPodsで十分満足している。 AirPodsの不満点は音質云々よりも、Lightningケーブルなことだ。 ノートPC・AndroidスマートフォンiPad ProがUSB Type-Cのため、可能な限り統一したい。 USB Type-Cのオープン型のAirPodsがもし出たら、将来的に乗り換えるかもしれない。

Apple AirPods with Wireless Charging Case

Apple AirPods with Wireless Charging Case

  • 発売日: 2019/03/27
  • メディア: エレクトロニクス

ちなみに、Podcastの収録や、前で登壇するときなど、ちょっと音声の品質をあげたいとき、 AirPodsの充電が切れてしまうときなどのために、有線のゲーミングヘッドセットを利用する場合がある。 有線はあまり好きではないが、必要な場面にその選択肢を取れるようにしておくのは大事かもしれない。

外付けモニタが無くても大丈夫か、とたまに聞かれるが、私の場合は大画面のモニタが無くてもそこまで作業効率が落ちる感覚は無い。 むしろ画面が大きいと目をあちこちに移動したり、首を移動しなければならないので、そちらの方が疲れる。

機能性もデザイン性も欲張る

仕事だけだったら機能に全振りしても良いかもしれないが、生活と融合するならばデザイン性もしっかり重視したい。 例えば、ゲーミングチェアは様々な部分が稼働するようになったり、メッシュ加工をしていたりして、長時間の仕事に向いている。 それらのチェアに対して、枕言葉のように人間工学に基づいた、とつくが、デザイン性を重視しているチェアも人間工学に基づいているものはある。

例えば、私は北欧デンマークのBo Conceptのチェアを使っていて、このチェアも人間工学に基づいている*2。 アームレストの高さも椅子の高さも変えられないが、この椅子に長時間座っていても全く疲れない*3

www.boconcept.com

上記のチェアは正直安いものではないが、機能性に全振りしたチェアも同じかそれ以上の値段がする。 ただ、このチェアは違和感無く生活にも溶け込めるというメリットが存在する。 仕事も生活も融合させるのであれば、デザイン性のある機能的な家具も一つの選択肢としても良いのではないだろうか。

整理・収納はプロに教えてもらう

仕事環境も生活環境も、整理整頓された空間が好ましいことは疑いようの余地は無いだろう。 とはいえ、私はあまり整理整頓が得意ではなく、つい雑然とした環境になってしまう。 何度かコンマリメソッドも取り入れたが、短期的には解決しても長続きしなかった。

なんとか出来ないものかと色々調べた結果、世の中には整理収納アドバイザーなる資格があることを知った。 引っ越した直後のダンボール山積みの段階で私の家に合ったやり方で整理収納をやってもらい、 さらにそのやり方を教えてもらえれば、メンテナスしやすく、きれいな状態を保てるのではと考えた。 そこで、くらしのマーケットに登録し、引っ越してすぐに整理収納アドバイザーに来てもらうことにした。

curama.jp

結論から言うと、整理収納アドバイザーを呼んだのは大正解だった。

整理収納に最も大事なのは、物を捨てることだ。 コンマリメソッドでも最初に服を捨てることから始まるが、捨てるという点は共通していた。 ただ、捨てるものについては、なかなか衝撃的だった。

まず言われたのは食器の水切りカゴだ。 え・・・これがなかったら食器洗ったらどこにも置けないじゃないか、となる。 でも捨てる理由はとても合理的だった。

食器を洗って水切りカゴに置いたら、絶対そこに放置してしまう。 そうすると、いつまでも水切りカゴに食器があふれることになり、見栄えがとても良くない。 そういう乱雑な状態が一箇所でもあると、部屋が整理整頓されなくなっていくとのこと。 さらに言うと、その水切りカゴは洗われないままなので、衛生的にもよろしくない。

うちには幸い食洗機がついていたので食洗機に全部任せること、というアドバイスをもらったが、 例え食洗機が無かった場合でも、捨ててもらっているとのことだ。 その場ですぐ拭いてすぐに特定の収納場所に収納すること、それが家が片付くための秘訣らしい。

ちなみに、この拭く作業も、キッチンペーパーのように使い捨てのものでやるのがコツだ。 キッチンタオルのように洗って何度も使うものは、洗う・乾燥させるという作業が発生するので、それだけでひと手間かかってしまう。 それにしっかり洗わないと衛生的でもない。 それだったらキッチンペーパーのように使い捨てのもので拭いて、拭き終わったらそのままシンクなどを軽く拭いて捨てる方が楽だし綺麗になる。

これらを聞いて、私はただちに水切りカゴとキッチンタオルを捨てた。

上記はほんの一例だが、整理収納の極意は、整理収納しやすく配置をして、とにかく日々のメンテナンスコストを徹底的に落とすことだ。 他にも様々なアドバイスを聞いた結果、メンテナンスがしやすい状況なので掃除の手間もほとんどかからなくなり、家を綺麗に保ち続けることが出来ている。

可能な限り家事を自動化する

仕事と生活の境界が無くなっていくのであれば、可能な限り生活の無駄な時間は減らしていった方が、 仕事にさける時間も多くなるし、生活の質も高めやすくなる。 だから、家電をうまく活用して、家事を自動化するのはとても重要なことだ。 代表的な自動化のための家電は、乾燥機付き洗濯機や食洗機だが、これまで散々語り尽くされているので、ここでは何も言うことはない。 私がここで強く推すのは、お掃除ロボットだ。

実は最近、ルンバの最新機種である、ルンバ S9+を購入した。 このお値段なんと18.7万円。いやいや嘘だろ、せいぜい8.7万の間違いじゃないか、と思う人が多いと思うが、何度見ても18.7万円だ。 これの前の最上位機種も14.6万円もして、それでも躊躇する値段なのに、さらに4万円も高い。

相当悩みに悩んだが、結果としてはs9+を買って正解だった。 値段が高すぎるので万人にオススメ出来るものではないが、以下のような条件に全て当てはまる人は是非清水の舞台から飛び降りていただきたい。

  1. 複数の部屋に分かれている
  2. 特定の部屋を掃除して欲しい
  3. ちょっとおでかけするタイミングで掃除をして欲しい
  4. ゴミ捨てを自分でやりたくない
  5. オシャレなルンバが欲しい
  6. 隅々まで綺麗にしたい
  7. 短い時間で掃除を終えて欲しい
  8. カーペットにゴミが溜まってしまっていて取れない

1~3だけであればルンバi7、4も含めばi7+、5~8も含めばs9+がオススメだ。 ルンバi7とi7+の違いはごみを自動で排出出来るかどうかの違いで、性能的には違いが無い。 s9+はさらにオシャレさと、吸引力をアップさせている(従来製品の40倍、i7/i7+の4倍)。

特に、最後の項目についてはとても強烈なエピソードがある。 私の家ではやんちゃ盛りのポメラニアンを2匹飼っている。 その2匹が暴れまくった結果、カーペットに毛が絡まってしまい、Dyson V7の掃除機でも吸い取れない程の状況だった。 しかし、ルンバs9+が掃除を始めた瞬間にあれよあれよと毛を吸い取り、買った当時のカーペットの状態に綺麗に戻ってしまった。 正直、ルンバs9+の吸引力にそこまで期待していなかったのだが、一気に信頼を置くようになった。

上記のような吸引力のおかげか、部屋の掃除は思った以上に早い。 5畳ぐらいの部屋であれば、10分もかからずに終わってしまう。 掃除する部屋や、掃除して欲しくない箇所もアプリで指定できる(これはi7/i7+でも同様)ので、掃除の早さと相まってものすごい効果を発揮してくれる。

ネガティブな面としては、吸引力が上がっている分、掃除しているときの音は正直静かとは言えない。 うちでは朝晩のわんこの散歩のときに実行して、帰ってきたら掃除が終わっているのでとても快適な仕事環境が整う。

ここまでルンバs9+を散々推してきたが、そもそも床にものが散らばっていて、それどころではないという人はいるだろう。 そういう人は、まず整理収納アドバイザーを呼び、家をある程度メンテナンスしやすい状態に持っていくことをオススメする。 ルンバを買ったら強制的に綺麗にするだろう、は確かに最初のうちはそうだろうが、メンテナンスがしづらい家ではいずれボロが出る。

在宅ワークは生活を破壊するのか?

在宅ワークによって仕事と生活のバランスを保ちづらくなった、という人は良く聞く。 仕事と生活を対立構造で捉えてしまうとバランスという発想になるが、私の場合は対立構造で捉えていない。 むしろ、それらは融合して、共存させるものだという感覚が芽生えている。

まだ在宅ワークをして半年程度なので、長く続けるとそうも言ってられなくなるのかもしれないのだが、今のところはストレスを感じず全く問題ない。 この状況で生活が一変した皆さまの少しでも参考になれば幸いです。

*1:私はこれまで運が良かったと本気で信じてる

*2:Webサイトに全く書かれていないのはもったいない

*3:Bo Conceptの社内の会議でもこの椅子を使っているらしい

マネージャーを否定しない組織をつくる

RSGT2020が1/8~10に開催された。 昨年は楽しかったの一言に尽きたが、今年はとにかく考えさせられた。

というのも、私にとってここ2~3年のテーマだった、Agile × マネージャーというドンピシャなキーノートがSahotaさんよりあったためだ。

confengine.com

本記事では、このキーノートに焦点をあてる。

マネージャーを否定してはいけない

Sahotaさんのセッションで最も印象に残った言葉が、「組織を変革させるとき、誰も取りこぼしてはいけない」というものだ。

私がBas(LeSSの提唱者)の認定スクラムマスターの研修に参加したとき、どんな役割を今やってますか?と質問された。 私はそのときScrumを推進する人ではあったが、Scrum Masterではなかった。なぜなら、私の行う役割にはエンジニアの評価やエンジニアの採用も入っていたからだ。 そのときはEngineering Managerという肩書きを知らなかったので、とりあえずProject Managerと言った。他の参加者にもXX Managerという役割を持っている人がいた。

そこでBasに言われたのは、「おめでとうございます。Scrumではマネージャーという役割はいないです。だから、あなたの役割は無くなります。」という言葉だった。

この言葉に正直、良い気持ちはしなかった。 なぜなら、自分のやっている役割は必要性があってやっているものであり、自分の役割が変わったところで、その仕事は無くならないと思ったからだ。*1

このときから、私のAgileな組織におけるマネージャーとは何かを考える旅が始まった。

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開発メンバー vs マネージャーという対立構造は悲劇しか生まない

Agile界隈で私の苦手な風潮はマネージャーを否定する言葉だ。

「邪魔してくるマネージャーをチームからブロックしろ」

「マネージャーの役割はチーム開発では不要だ(だって、Scrumはそれで成り立つでしょ)」

確かにそれはチームという目線から述べたら正しいのかもしれない。 多分、私もチーム開発だけを見ている立場のときにそういう発言をしていたと思う。 でも、その言動は組織を運営する立場(=マネージャー)からすると、とても鋭い刃だった。

一方で、このマネージャーの否定発言こそが悲劇を生み出しているのではないか。 現マネージャーはもちろんだが、特に、Agile開発をしていたメンバーがマネージャーの立場になった途端、その矛先は急に自分に向く。 自分のやっていることは悪なのではないか、自分はチームを邪魔する人間になっているのではないか、などと言った自己を否定する言葉を使いながら。

実際、自分もこのように感じてしまい、Agileの理想から外れている自分と、その一方でAgileを否定したくない自分で葛藤した。 結果として、Agileコミュニティからも少し身を引いた場面がある。 組織運営をしているマネージャーにとって、Agileコミュニティは正直居心地が良くなかった。

一方その頃、Engineering Manager(EM)コミュニティが立ち上がった。 組織運営をする立場の人間が多かったので、その方が居心地が良かったし、何より現実的に今自分が困っている課題を議論できた。 結果として、EMコミュニティの活動が増えていった。

ではまたなぜAgileコミュニティとつながりを持つようになったか。 それは、EM.FMを通してEM像だったり、私の考える組織設計について、 Agileコミュニティにいる方々からとてもポジティブな意見をいただく機会が増えたからだ。

Agileコミュニティの理想ではないマネージャーという存在が、現実的に必要な役割として認識されたのだ。

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ヒエラルキーと自己組織化

私の組織ではマネージャー職を設け、一種のヒエラルキーを作っている。 その中でAgile開発をしようとして、Agileの掲げる自己組織化という理想とのギャップに苦しめられていた。

Sahotaさんは、このギャップについて、ティール組織を使って説明していた。 以下は、Sahotaさんの発表内容の一部を切り取って、私の理解しているギャップの根源を述べる。 参考にしたのは、以下の本である。

[イラスト解説]ティール組織――新しい働き方のスタイル

[イラスト解説]ティール組織――新しい働き方のスタイル

多くの会社はヒエラルキーから成る"オレンジ"(あるいは"アンバー"*2 )組織である。 一方、Agileの理想とするのは、自己組織化された"ティール"組織である。

理解しなければらないのは、オレンジ組織がいきなりティールを目指そうとすると問題が起きる、ということである。 本当はそれらの間にあるグリーンを作り上げ、そこからティールを目指すのが本筋である。*3

では、グリーンとオレンジの違いは何か。肝となるのは権限委譲である。 マネージャーの役割を認めながら、権限・責任をメンバーに委譲していくということだ。

グリーン組織の重要な観点として、権限委譲された組織を目指すということは、ヒエラルキーを維持しているということだ。 これは一見矛盾しているように思えるが、一つ一つ丁寧に権限委譲していくプロセスが自己組織化された状態にするために大事なことだ。

Agile開発の文脈では、この権限委譲のプロセスが定義されていない*4ため、 どうしても開発メンバー vs マネージャーという対立構造を生んでしまわざるを得なかったのではないかと思う。

権限委譲を促進させるためのコツ

では、権限委譲をどうやったら促進させることが出来るのだろうか。 権限委譲には私の経験上、スキルの壁・信頼の壁・勇気の壁の3つの壁がある。

1. スキルの壁

メンバー側に権限・責任をもらうだけのスキルが無いと、そもそも委譲されることは難しい。 マネージャーと良く話し合い、どんなスキルが足りていないかを良く話し合おう。

2. 信頼の壁

スキルがどんなにあっていても、メンバーが信頼されていないと委譲は進まない。 信頼を貯める行動を取り、メンバーに任しても大丈夫だと信頼されるようになろう。 そして、マネージャーはXY理論のX理論(人間は本来なまけたがる生き物で、責任をとりたがらず、放っておくと仕事をしなくなる)ではなく、Y理論(人間は本来進んで働きたがる生き物で、自己実現のために自ら行動し、進んで問題解決をする)に立つということも重要である。

3. 勇気の壁

全て委譲出来るかどうかはマネージャーの勇気にかかっている。 マネージャーの恐れをメンバーに伝え、メンバーを信頼しよう。

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マネージャーがいない組織を実現できるのか

この問いについて、私はまだ解を持っていない。 ティール組織をまだ理解しきれていないし、どのような実装が自分の組織にうまく適合するのかシミュレート出来ていない。

サイボウズ社の水戸さんの発表は、マトリクス型組織だったところからマネージャー職を廃止したということで、自分の組織と似たようなところもあり、とても参考になりそうだ。

私はAgileの考えに強く共感しているし、コミュニティにもかなり助けてもらった。 だからこそ、マネージャー否定の連鎖を止めたい。

Sahotaさんのセッションは、正にそれそのものだった。 私はSahotaさんからこれまでやってきたことに対して、勇気をもらった気がした。

RSGTのチケットが瞬殺され、プロポーザル採択の倍率が3倍から5.5倍になり、世の中にAgileの考えが広まっていく流れが見えた。 そして、Agileが広まれば広まるほど、私のようにマネージャーが苦しむのは今後間違い無い。

私のやることは、マネージャーを否定しない組織をつくり、そしてその実装例を広めていくことなんだろう。

(追記) @ikuodanakaさんが、この記事では伝えきれていなかった、マネージャーって何をする人なのか、どうなっていく存在なのかを書いてくださった。 note.com

*1:Basは多分、ScrumをやるならScrumの何らかの役割に専念しろ、あるいは、もっと価値の高いことをやれ、ということだったのだと思う。でも、当時の自分はこの言葉を受け止めきれなかった。

*2:アンバーからオレンジの重要な差異は、accountabilityを定義しているかどうか。もしかしたらaccountabilityの定義も危うい可能性がある

*3:ティールが全てにおいて最高の状態ということを言いたいわけではない

*4:Management 3.0では、Delegation Boardというモジュールを用意しているので、この点はAgile開発の良い補完関係なのだろう

自分をアップデートし続ける技術

この記事は「セイチョウ・ジャーニー」「挫折論への招待」アドベントカレンダー Advent Calendar 2019の22日目の記事です。

2019年のアウトプット

今年1年を振り返ってみる。 今年はあまりアウトプットしなかったかもなーと思っていたが、集めてみると結構色々やっていた。

昨年との一番の違いは、依頼されて出演する機会が多かったことだ。

ただ、ほとんどは過去〜今の話なので、ある種貯金を食いつぶしているという危機感はある。 常に自分をアップデートして、新しいことをやったり、(自分なりに)新しい発見をし続けるということがこれからも必要なのだろう。

では、どうすれば自分をアップデート出来るのだろうか? 以下では、数ヶ月後の自分という他人に向けたメモも兼ねて、今の私なりの自分のアップデート方法を書いていく。

自分という人間を理解する

何をするにしても、自分とはどんな人間であるかを理解しておくのがまず必要だと考えている。 ただし、自分という人間は常にアップデートし続けるということを前提に置くので、自分の理解を常にやり続けるということが必要である。

自分の好きを知る

仕事や趣味の活動などを通じて、自分の好きなことを理解しておくと、それがあるだけで癒やしになるので、言語化しておく。

ただし、好きと得意は別ものとしてとらえておく。 好きだから得意とは限らず、逆もまた然りだ。 特に、好きというだけで仕事にして得意でないことをやってしまうと、相応の努力が必要になり、最悪嫌いになってしまう可能性もある。*1

自分の得意・強みを知る

これも仕事や趣味の活動などを通じて、これが得意だ、これが強みだ、を理解しておくと、新しく何かをやるときの指針になる。

客観的な指標であれば、ストレングス・ファインダーが有名だ。

ちなみに、3年前に受けた結果がなんだか今と合っていない気がして、今年の3月にもう一度受けてみたが、やはり強みが大きく変わっていた。 どうやら強みは変化するらしい。 f:id:yunon_phys:20191221172553p:plain

自分の苦手を知る

逆に苦手を知ることで、苦手を克服するために努力する、あるいはそこを避けてやらない、という手が取れる。

私の場合は、苦手を克服するという選択をする場合は、その先にどうしても達成したい目標があるときだ。 逆に自分のやりたい方向ではないことに対しては、無理に苦手を克服しない。

苦手を避けてやらないことのほうが、私の場合はほとんどだ。 苦手なことをやることより、得意なことをやることの方が価値が出るし、スキル・能力がつきやすいと考えているからだ。

自分の感情を感じる

感情の上下をするポイントを理解しておくと、反応的に意思決定をしなくて良くなるので、言語化をしておく。 例えば、どんなときに楽しいと感じるのか、どんなときに怒りを感じるのか、どんなときに悲しみを感じるのか、どんなときに恐怖を感じるのか、など。

ブッダの考えを理解すると、反応的にならないようなり、まさに悟った人になれる。

自分の考え方の癖を知る

何かを意思決定するときには、ベースになる思考の癖が必ずある。 その思考の癖は、

の3つによって形成されていると考えている。 それぞれの付き合い方がうまいと、より合理的な意思決定が出来たり、非合理的な意思決定をした自分の振り返りの材料となる。

認知バイアスについては、例えば以下のサイトが参考になる。

認知バイアス一覧で社会心理学入門〜社会科学の知の蓄積を活用した社会教育の実現に向けて〜効果、錯誤、誤り、仮説一覧〜

2019年の本だとFUCTFULLNESSが流行りましたね。

価値観の調べ方については、以前まとめた記事がある。

充実とは価値観が満たされた状態である|ゆのん|note

チームで楽しみながら価値観を知りたいという人は、価値観ババ抜きであったり、Management3.0のMoving Motivatorsをやるという方法もある。

価値観ババ抜きとは | 価値観ババ抜き | myvaluecard

ムービング・モチベーターズ、モチベーションポーカー | ニューワークス

メンタルモデルについては、『学習する組織』の推論のはしごや、『なぜ人と組織は変われないのか』の免疫マップが参考になる。

学習する組織――システム思考で未来を創造する

学習する組織――システム思考で未来を創造する

最近だと、そのものずばりの本が出ましたね。

この本によると、人のメンタルモデルは

メンタルモデル 痛み繰り返される不本意な現実
価値なしモデル 何か価値を出さないと自分の価値は認められない
愛なしモデル 自分のありのままでは愛してもらえない
ひとりぼっちモデル 人が去っていく、離れていく、つながりが絶たれる分離の痛み
欠陥欠損モデル 自分には決して埋まらない決定的な欠陥がある

のどれかに分類されるらしい。私の場合は典型的な価値なしモデルだ。*2

他人から見える自分を知る

上記の内容を親しい人とお互いシェアすると、それについての反応がきっと返ってくるだろう。 それらが自分が思った通りであればその認識を強化すれば良いが、あなたにはこういうところもありますよ、というフィードバックは新しい自己発見につながる。

これを促すツールとして、持ち味カードは一つの手段として有効だ。

www.delight-c.com

習慣的に挑戦する

自分のことを理解するためには、今何が出来るのか・何が出来ないのかの理解も重要だ。 これらの理解のためには、想像ではなく実感値として持つ必要があるため、行動で判断するのが有効である。

そこで、自分の現在地点を把握出来るようにするため、習慣的に挑戦する。 挑戦には

  • 新しいことをやる
  • 難しいことをやる

の2種類がある。*3

日常から新しいことをやる

新しいことに挑戦することのハードルを下げるため、日常に新しいことを取り入れる。 例えば、食べに行ったことのないレストランに入ってみる、いつもと違う経路で通勤してみる、などでも良い。

このように自然と新しいことへの挑戦をしておくことで、挑戦の恐怖を取り去り、 いざ何か本当に新しいことをやる/やらないの選択肢が出たときの練習が出来る。

ちなみに私が新しいことを挑戦したときは、その感想を何らかの形(多くは人に話す)でアウトプットするようにしている。 そうすることで、新しい挑戦に対するふりかえりを促し、良かったこと、良くなかったことの価値基準を自分の中で言語化出来るためだ。

難しい挑戦が出来る環境に身を置く

私は自分に甘い人間なので、難易度の高い挑戦を自分で設定するのは難しい。 そこで、私は難しい挑戦が出来る環境に身を置くようにしている。

難題がたくさん降ってくる場所であっても良いし、難題を一緒に考えてくれる人が近くにいるのでも良い。 クリアした結果が価値の高いものであればある程、難題のクリアしがいがあるので、自分の見えている世界だけで難題を選ばないようにしている。

常に学ぶ

私のストレングス・ファインダーに学習欲が入っているように、学習が好きな人間である。 そこで、私が意識的にやっていることを書く。

何からでも学ぼうとする

私はどんなことからでも大なり小なり学べることがあると考えている。

勉強会に出席してあまり面白く無い、と思うことも正直ある。 そのときになぜ自分が面白く無いと感じたかを自分に問いかけてみる。 すると、その面白く無いと思ったポイントに対して、自分の知識が不足していたからなのか、興味がそもそも無いことなのか、 という整理が出来て、その整理する作業そのものが自分を理解するということにつながる。

また、今その瞬間に必要でないと思った知識も、そこで学びがあったからこそ未来にそこから話が広がったという経験を何度もしている。 なので、知識は入れておくことに越したことがないというのが私の考えである。

学んだことをアウトプットする

挑戦にも共通するが、学んだことは可能な限りアウトプットするように努めている。

例えば、WEB記事を読み、その中から1行でも学びのあったところを引っ張り出し、そこに対しての自分の考えを述べるなどしている。*4 そうすることで、他の人の文章が自分の文章になる感覚があり、自分の学習になると考えている。

ここについてはアウトプットすればする程自分に返ってくるので、来年もっと意識して無意識に出来るレベルまでなるように取り組みたい。

学んだことに固執せずに学び直す

学んだことは時間をかけたり、命を削って得たものだったりするので、どうしても大事なものとして固執してしまう自分がいる。

『失敗の本質』にも、学習を軽視し、自己否定学習(unlearning)が出来ていなかったことが、第二次世界大戦で日本軍が負けた理由の1つである、と分析している。 自分の学んだことは一面的であり、多面的な評価をした場合はそれが全てではない、ということを肝に銘じておく。

ポジティブな感情もネガティブな感情もうまく付き合う

ポジティブ心理学によると、ポジティブな感情は認識しづらく、ネガティブな感情の方が残りやすい、といったネガティブバイアスがかかりやすいとされている。*5 つまり、無意識のうちに、好きや楽しいより、嫌いや辛いに注目しすぎている。

面白い実験動画を紹介しよう。 白いTシャツを着ている人が何回パスをしたのかカウントしてみて欲しい。

www.youtube.com

この実験動画から、人は知覚する情報を取捨選択しているということがわかる。 つまり、普段から知覚する情報を好きや楽しいなどのポジティブな物事に意識を向けるだけで、幸せな人生になれるということを意味している。

私の場合、なんでもポジティブなところを見るように普段から訓練しているので、ネガティブな感情に自分が支配されることは滅多にない。*6

アップデートは終わらない

結局のところ、自分のアップデートに終わりはない。 過去の自分をそのときに最適な選択肢を取った結果の自分として受け入れ、未来に向けてより自分が自分らしく、そして自分の才能が花開くように希望を持って生きていきたい。

*1:@akaderaさんはMPが減ると表現していた

*2:最初に書いたモチベーションがそのままだ

*3:この2つの分け方は職場の同僚に教えてもらった。しっくりくる分類のやり方だったので、ここでは採用させてもらった

*4:たまにサボって記事だけシェアすることもある

*5:という、勉強会に以前参加した

*6:支配されたとしても、大体は寝たら治るという特殊能力を持っている